道理正しき所に向うては飽くまでも自己の主張を通してよい
青淵百話より
現代の言葉で言うと
道理にかなうことであれば、相手が誰であろうと自分の主張を通してよい
常に相手の立場に立って考え、行動するのが「仁」
相手に合わせていた方が楽である
日本人は
儒教の教えである、年功序列、上下関係をとても大切にしています。なので年上の人や上司の言ったことが、
例え正しくないと思っても自分の主張を押し殺して、相手に合わせてしまう傾向があります。
確かに相手に常に合わせていれば、衝突することはありません。しかし、渋沢は「
好んで争うことは、もちろん良くない。しかし、 何があってもまったく争いをしないというのも、同じくらい良くない」と言っています。
上司にとっても部下がイエスマンばかりだと気持ちはいいでしょうが、自分の過ちに気づくことができず、結局は大きな災いを招いてしまいます。
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何が正しいのかのヒントは「仁」と「恕」
儒教の教えには
「仁」「義」「礼」「智」「信」という
五徳があり、その中でも
「仁」がもっとも難しい徳であると言われています。
「仁」も「恕(じょ)」も「思いやり」と説明されることが多いのですが、
「恕」とは「自分がやってほしいことを、相手にもやる思いやり。自分がやってほしくないことを相手にやらない」という思いやりです。
一方
「仁」は「相手がやって欲しいことをやる思いやり。相手がやってほしくないことをやならい」思いやりです。
しかし、
自分は相手の本当の気持ちが実際にはわかりません。だからこそ五徳の中で「仁」が最も難しいと言われているのでしょう。
そういう意味では、儒教を愛していた栄一が指摘する自己主張を通すために必要な道理とは、自分勝手な行動を取るということではなく。
常に想像力を活かし、相手の立場に立って行動せよという教えも含まれているのではないでしょうか。