されば孔子がいわれた「罪を天に獲る」とは、無理な真似をして不自然の行動に出ずるという意味であろうかと思う。
(【渋沢栄一訓言集】処事と接物)より
現代の言葉で言うと
孔子が言った「罪を天に獲る」とは「本来の自分にそぐわない行動を取ったり、無謀な野望を抱いたりしても、うまくはいかない」という意味だろう。
自分らしくない行動は「苦痛」「失敗」のもとである
すべてに天命は与えられている
薔薇には薔薇の天命があり、タンポポにはタンポポの天命がある。どうあがいてもタンポポはタンポポのままで終わるのです。
タンポポが薔薇になろうとしても、なれるものではありません。それと同じように、人にもそれぞれ与えられた天命があります。
まず自分の天命を知ることが大切
ですから、自分の為すべきことを知るためにも、まず自分の天命を知ることが、とても大切です。
天命を知るのは簡単です、 行動しても行動しても、物事がうまくいかなかったり、苦痛を感じることが多い場合、それは本来自分がなすべきでないことをしたり、正しくない行動を取っている証です。
このサインを見逃さず、時折、自分の行動が天命に沿っているか考えてみましょう。
天罰とは
本来自分がなすべきでないことをしたり、正しくない行動を取ったからといって、天が何か言ったり、罰を加えているわけではないのですが、人は 自分に沿った行動をしていない場合、自然と苦痛を感じるようにできています。これを多くの人は「 天罰」と呼んでいます。
人間がこの天罰から逃れようとしても無理な話です。自然に季節が流れ、この世の生物が育つように、天命は人智の及ばない次元で行われているのですから。