個人の富はすなわち国家の富である。個人が富もうと欲しないでどうして国家の富を得ることができるだろうか。
【青淵百話】より
現代の言葉で言うと
個人1人1人の富は、国家全体の富と言える。なので個人1人1人が豊かになろうと行動しなければ国家を豊かにすることなどできない。
渋沢栄一の根幹「私益と公益の合一」
私益と公益の合一とは
個人がただ私腹を肥やすのではなく
個人が国家の犠牲になるのでもなく
渋沢栄一は生涯を通して、 個人が豊かになり、その結果国家も豊かになることを目指していた。これが 「私益と公益の合一」です。
渋沢栄一の時代は 武士道の自己犠牲が美徳とされていたので 「個人が国家の犠牲になる」のは当たり前と考えられていた。しかし栄一は 「個人と国家の双方が富む」のが理想と考えていた。
今でいうWin-Winの関係を作ろうとしたのは当時画期的であり、 真の資本主義を忘れている現代の人にとっても、今一番必要な教えではないでしょうか。
天台宗の開祖、最澄と渋沢栄一の意外な共通点
天台宗の開祖、最澄は世界中で苦しむ人々を救うためにどうすればいいか考え抜いた結果、 照千一隅(しょうせんいちぐう)という考えにたどり着きました。
照千一隅とは「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で、分かりやすく言うと 「 すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きて行くことが、結局は国全体を照らすことになる」という教えです。
渋沢栄一も 「一族の集合が一家となり、一家の集合が一村となり、一村落が一郡となり一国となる。(中略)国家と言おうともその始まりは一個人から起こる」(国豊論より)というように、まず一人一人がなすべきことをなすことが、個人にとっても、国家にとっても大切だと説いています。
最澄も渋沢栄一も同じ真理にたどり着いたのです。
あなたは誰のために働いていますか?自分のため、家族のため、友人のため、上司のため、会社のため、地域のため、日本のため、世界のため。
最初は自分だけのために働いていたとしても、せっかく偉人たちが導き出した真理を知ったのですから、「自分のためにも」「世界のためにも」いつかはもっと多くの人に役立つことができる人間になりたいものですね。