厳密すぎる教育は 鉢植えの木の ような人を作る
現今の教育は、修学の順序といい、教育の仕方といい、至極緻密であるが、成業の人を視ると鉢植えの植木を見るように、枝振りは好いがとかく小規模で、ただ小利にのみ走るという弊が見える。 (【渋沢栄一訓言集】学問と教育)より 現代の言葉で言うと 現代の教育は、順序も方法も非常に緻密であり、それでそだった人間はまるで鉢植えの木のようだ。枝振りなどの外見はよくても、行うことのスケールは小さく、目先の欲に走る欠点 […]
現今の教育は、修学の順序といい、教育の仕方といい、至極緻密であるが、成業の人を視ると鉢植えの植木を見るように、枝振りは好いがとかく小規模で、ただ小利にのみ走るという弊が見える。 (【渋沢栄一訓言集】学問と教育)より 現代の言葉で言うと 現代の教育は、順序も方法も非常に緻密であり、それでそだった人間はまるで鉢植えの木のようだ。枝振りなどの外見はよくても、行うことのスケールは小さく、目先の欲に走る欠点 […]
人に対して敬礼を欠いてはならない。されどただ形式だけの敬礼は、往々相手の感情を害し、かえって礼せざるに劣るものである。 (【渋沢栄一訓言集】処事と接物)より 現代の言葉で言うと 人に敬意を表すことを忘れてはならない。ただし、形だけの礼ではかえって相手は不快になり、挨拶をしないよりもむしろ失礼になるものだ。 礼や挨拶には心を込めよう 気持ちは相手に伝わる 心から「ありがとう」を伝えることは、本当に大 […]
信には義が伴わねばならず、義には信が伴わねばならない。 (【渋沢栄一訓言集】一言集)より 現代の言葉で言うと 自分の信念を通すには、人への仁義を持たねばならず、仁義を尽くすには、信念がなければならない。 嘘と利己心があっては信義は成り立たない 信義とは 「人」が「言う」と書いて「信」「王」を「我」が支えているのが「義」 つまり 信とは本来、人の言葉によせられるもので、 そこに嘘があってはいけません […]
一人の楽しみは、決してその人限りに止まらず、必ず広く他に及ぶ (【渋沢栄一訓言集】処事と接物)より 現代の言葉で言うと 楽しいと思う気持ちは、本人だけでなく、周りの人々にまで必ず広がっていくものだ 幸せは分かち合えば2倍にも3倍にもなる 幸せを分かち合いたいと思うのは自然なこと 仕事で成功したとき、誰かを誘ってご馳走して、喜びを分かち合いたいと思うことはありませんか? 楽しい趣味に打ち込んでいる人 […]
真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない (【論語と算盤】仁義と富貴)より 現代の言葉で言うと 仁義や道徳が根本になければ、本当の富を増やし続けることはできない 渋沢が一生を通して実現しようとした「論語と算盤」 論語と算盤とは 「 論語と算盤」とは渋沢が書いた代表作の本のタイトルであり、 渋沢が一生を通して実現しようとした使命です。 論語と算盤つまり、道徳と経済というかけ離 […]
要するに習慣というものは、善くもなり、悪くもなるから、別して注意せねばならない。 (【渋沢栄一訓言集】座右銘と家訓)より 現代の言葉で言うと 同じことを習慣にしていても、それが精進になればいい結果につながり、それがマンネリになれば悪い結果にしかならない。注意して両者を分ける必要がある マンネリからは成功は生まれない 人はいつかは慣れてしまう いったん思い立ってはじめたことでも、しばらくたつと初心を […]
口舌は実に禍の起こる門でもあるが、また福祉の生ずる門でもある。 (【論語と算盤】常識と習慣)より 現代の言葉で言うと 口から出る言葉は災いのもとにもなるが、また幸運を引き寄せることもある。 「相手を思いやる言葉」は出し惜しみするな 口は禍の門 「口は禍の門」と言われます。知らず知らずに言い過ぎて、その言葉がもとで、人に足元をすくわれたり、笑われたりするかもしれません。 また「ここだけの話」がいつの […]
視、観、察の三つを以て人を識別せねばならぬ。 (【論語講義(一)】為政第二)より 現代の言葉で言うと 人を観るには眼で視て、頭で観て、心で察しなければならない。 外面と内面の両方を見れば、ひとの本心が分かる 人の本心を知るのは簡単ではない 人は本音と建て前を使い分けて生きています。ですので 本心や行動を隠したいと思えば、それを見破るのは簡単なことではありません。 まず外見をよく見ること ただ、本心 […]
むやみに学科ばかり詰め込めば学問の食傷を起こす (【渋沢栄一訓言集】一言集)より 現代の言葉で言うと ただ知識を詰め込むだけの教育では、子供たちは学ぶことが嫌いになってしまう。 教育は「知ることの喜び」を育むべし 詰め込み教育の問題点 いつの時代にも、詰め込み学習をよしとする大人がいます。 けれど、知識を詰め込むばかりでは、子供が自分で考え、疑問を持つ余地がなくなります。疑問を抱かなければ、好奇心 […]
銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。 (第一国立銀行株主募集布告)より 現代の言葉で言うと お金を水に例えると、銀行は大きな川である。この大河に集まってこないお金は溝によどんでいる水や上から垂れてくる滴と同じで生かされていない 無駄に眠るお金も、集めて国のために尽くす お金とは「水」のように必要なものである お金とは、人を利 […]